Memoria de los Libros Preciosos

続きを読むとクリティカルなネタバレがあります

遠藤周作『海と毒薬』  ★★★☆

海と毒薬
海と毒薬
遠藤 周作

 良心の呵責とは今まで書いた通り、子供の時からぼくにとっては、他人の眼、社会の罰に対する恐怖だけだったのである。勿論、自分が善人だとは思いもしなかったが、どの友人も一皮むけば、ぼくと同じだと考えていたのだ。


 圧倒的な息苦しさに襲われた。うまく呼吸ができなくなった。
 腕は確かだが、無愛想で一風変わった中年の町医者、勝呂。彼には、大学病院の研究生時代、外国人捕虜の生体解剖実験に関わった、忌まわしい過去があった。病院内での権力闘争と戦争を口実に、生きたままの人間を解剖したのだ。この前代未聞の事件を起こした人々の苦悩を淡淡と綴った本書は、あらためて人間の罪責意識を深く、鮮烈に問いかける衝撃の名作である。(裏表紙)
 一度通して読んで、解説を読むと「作者は罰を恐れながら罪を恐れない日本人の習性がどこに由来しているか、を問いただすために、生体解剖という異常な事件を、ひとつの枠組みに利用した形跡がある」と書いてあった。恥ずかしながら私はそんなことなど何ひとつ読み取れず、日本人には罪の意識はないのだろうかと疑問を抱いた。
 しかし、それを念頭において再読すると、確かにそうだった。自分の読書力のなさと流されやすさをしみじみと実感しつつ、でもそうだった。勝呂は罪に襲われないままでいいのだろうか、いつか罰を受けるのではないか、と悩む。戸田はあまりにも自分に罪の意識や良心の呵責がないことをふしぎに思いながらも、それを欲して生体解剖に同意する。ノブが殺害に加担したのは、憎らしく思っているヒルダに対しての優越感としてだ。罪の意識のない者、罪の意識がなぜないのかを思う者、罪の意識に苛まれつつある者。
 果たして、日本人には罪の意識がないのだろうか。宗教意識が薄く、イエスやアラーにあたる存在がないから? でも、本書で仏の本を朗読してる人がいるように、宗教意識が全くないわけじゃないと思うのだけど。成仏できなくなるんじゃないか、って考えは浮かばないのかな。私には浮かばないけど。宗教を信仰している人の「罪」ってのは、神に対しての罪の意識なの? 神は全てを見通しているってこと? 
 悪いことをしたときに、誰かに見られているのではないかと恐れを抱くのは、世間にバレたら罰を受けるという恐れであって、それ以外の何物でもないから? 罪はともかくとして良心の呵責はあると思うのだが、それは罰がなければなくなってしまうのか。
 でも確かに、戸田の手記にあった「ふしぎなことだが、その言葉をぬすみ聞いた瞬間、昨日一日中くるしめていたあの心の呵責も息のつまりそうだった不安も驚くほどの速さで消えてしまった」「秘密がばれるという不安のないことがぼくをすっかり安心させていた」というくだりにはものすごく共感する。私も全く同じ経験をしたことがある。もう自分は安全だと思った瞬間に、解放されてしまうのだ。それはすなわち、罪の意識がないということか。バレなければ何してもいい、っていうやつか。もちろん、何してもいいわけじゃないのはわかってる。でも、軽いものなら、あるいは。

 


 今、戸田のほしいものは呵責だった。胸の烈しい痛みだった。心を引き裂くような後悔の念だった。だが、この手術室に戻ってきても、そうした感情はやっぱり起きてはこなかった。

「罰って世間の罰か。世間の罰だけじゃ、なにも変らんぜ」


 自分が罪の意識を持たないとなにも変らないのかな。