速水健朗『ケータイ小説的。』 ★★★★
ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち
速水健朗
ケータイ小説はなぜ生まれたのか? 浜崎あゆみ、NANA、郊外型ショッピングモール、携帯メール依存といったケータイ小説の「元ネタ」を探究すると、現代の若者たちの文化と生態が明らかに! 気鋭による驚愕の文化批評、登場。(Amazon)
読み物として本当に面白かった! 読んでる場合じゃないのに止まらなかったよ。あのケータイ小説をこんな風に読みとけるんだなあ。
浜崎あゆみとそんな密接な関係があったとは。私は浜崎世代ビンゴなので、乗ってた歌は大抵知っている。顔が好きになれなかったから、熱狂していたわけではないが、カラオケ行けば誰か歌うよね。携帯を持ち始めた時期も2000年あたりだし、あー私よりちょっと上くらいの人が書いてるのかな? と思った。
ケータイ小説は恋空をリタイアしてしまったので一冊も読みきったことはない。でも読んだ気分になった(笑)小説を読まずに書くことができるというのはある意味とても尊敬する、というか羨ましい。何でそんなことができるんだ? とは思ってた。たしかにエンタメ寄り本読みだから立て続けに出来事の起こる話は好きなんだけど、風景描写・心情描写・情緒といったものも大好物ですよ。というかそれなしには成り立たないよね。全部排除されてるのか。すごいな。うーん、読みたいとはとても思えないし今後も読まないだろうな。
あとノンフィクションが好きじゃないんだよね!笑 リアルなんて要らないよ、体験談を体験談として提示されると冷める、作者の存在はなるべく消してくれ……というのはオタクゆえでしょうか。機械じゃなくて人が書いてるんだからその人の生き様が表れるのはわかる、しかしウッドハウス並みの心意気を持ってだな!笑 ああっ耳が痛い。
とか言いつつ自分が見下していたものに「お前もその気があるじゃん」と刺されるこの痛さね。不幸自慢のループ。たまらないね。ちょっと考え直そうと思いました。