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続きを読むとクリティカルなネタバレがあります

オリヴァー・サックス『火星の人類学者』  ★★★★☆

火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者
火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者
オリヴァー サックス, Oliver Sacks, 吉田 利子
 もともと大脳生理学や心理学などに興味があって、好きなブロガーさんがべた褒めしていたので。期待を裏切らずに面白い本でした。
 自らを「火星の人類学者」と呼ぶ自閉症の動物学者をはじめ、障害が特殊な才能を開花させた7人を世界的に著名な脳神経科医サックス博士が深い洞察で描く。一般人の病気観をくつがえす全米ベストセラーの医学エッセイ。
 色覚異常の画家:脳震盪を起こして以来、I氏は色覚異常になった。世界の全てが灰色がかって見えるのである。私たちは白黒映画などを見ることがあるけれど、このたとえもぴったりしないらしい。白黒映画はあくまで二次元に映し出されたものであり、目を背けることができる。しかし三次元で見ているものが全て黒と白と灰色のグラデーションになり、そのうち色の記憶まで失われてしまうなんてのは想像も付かない。
 最後のヒッピー:宗教寺院に入ったグレッグは二年目に視力の衰えを感じ、そのうち完全に盲目になった。脳にできた巨大な腫瘍のなせるわざだ。手術後、それは取り除かれたが、彼は神経だけでなく精神にも重大な損傷を受けていた。どんな新しい事実も覚えていられないが、歌への関心は高く、音楽を聞いているときだけ彼は普通の人間になった。
 トゥレット症候群の外科医:ベネット博士はトゥレット症候群でありながら立派な外科医。「トゥレット症候群は神経系と無意識の底からやってくる。わたしたちのもっとも原始的で強烈な感情に根ざしているんです。(中略)発作が起こったとき、それをコントロールしきれるかどうかはほんの紙一重、自分とそれ、自分と怒りの嵐、皮質下の盲目的な力とを分けているのは薄い大脳皮質の層にすぎないんですよ」
 「見えて」いても「見えない」:幼い頃から目が見えなかったヴァージルは、手術によって四十年ぶりに視力を取り戻したが、安定した視覚的世界は蘇らなかった。自然に目を使って見ることができるようになったわけではなく、場所や距離の判断が危ういままで、全体を把握することができず、触らなければ見ているものと結びつけることができなかった。ヴァージルは結局再び視力を失うのだが、彼は視覚の世界から逃れられて落ち着いた。
 夢の風景:
 神童たち:自閉症のスティーブンは見た風景を細部まで記憶して紙に写しだすことができる。
 火星の人類学者:自閉症の動物学博士テンプル・グランディン。彼女は動物の仕草や気分を直感的に理解することはできても、人間や世界の規範、合図、行動様式の理解には非常に苦労している。普通の人間は生涯にわたる経験から「暗黙の了解」を獲得し、積み重ねるが、それができない。「恋に落ちる」のがどんなものかわからず、その部分が欠けていると思っている。秘密も、閉じた扉もない。それでも、「自分とともに、わたしの考えも消えてしまうと思いたくない……なにかを成し遂げたい……権力や大金には興味はありません。なにかを残したいのです。貢献をしたい――自分の人生に意味があったと納得したい」。
 以上七人の症例を扱っているのだけど、著者は彼らとかなり接近しています。だから感傷的にもなるし、物語性を帯びてくる。それぞれのシメが短編小説を読んでいるみたいな感じ。切なくなったり、割り切れなかったり、私の好みの終わり方なんですね(笑)うまいなあ語るの。
 特に気になったのは四人目の、視力を取り戻す話。不謹慎なのかもしれないけど、これは題材としてとても惹かれるものがある。おいおい他文献も調べてみたいところ。
 自閉症についても全く知らなかったのだけど、感情が生じ得ないというのは、盲目の世界と同じくらい想像のできないことだわ。人間は感情に振り回されないように理性を働かせてるっていうのに、感情自体がないんだもんねえ。でも、テンプルさんの持つ「自分が生きた証を残したい」という、人間のみにあって他の動物にはない衝動は、極めて感情的に見えた。いつかは消えてしまうに違いないものを求めているんだもの。