Memoria de los Libros Preciosos

続きを読むとクリティカルなネタバレがあります

玄侑宗久『お坊さんだって悩んでる』  ★★★★

お坊さんだって悩んでる
お坊さんだって悩んでる
玄侑 宗久

 弱者への労わりを制度化するということは、周囲の個人のなかに労る気持ちがなくなっても大丈夫、というシステムを作ることです。そんなことを制度化するから、気持ちの方が萎えていくのでしょう。

 お守りやお札に込められた祈りはあくまでも全体性の調和。自分は確実にそのなかにいるのだと、信じるためにいただくのがお守りやお札ではないでしょうか。
 死んでしまえばどう思うこともできませんが、死なない限りは、脚や視力や聴力を失ったとしても、あなたは自由であり得るのです。


 どこぞのブログでお薦めされていたので借りてみた。とても善い問答集でした! 私は日本で生まれ育ったので、仏教や神道に対しては宗教に抱きがちな胡散臭さがないんですよね。だからすんなり受け止められたし、仏教の考え方は素敵だと思えた。先日、動物遺体運搬業に携わろうかなんて言ってたこの口で、出家するのもいいかもしれないと言いますよ(笑)
 お葬式、お墓、ペットの埋葬問題から、死刑やボランティアへの考え方まで、お寺に持ち込まれる様々な悩みに玄侑和尚が答えます。ややこしい現代を生き抜くための道標となる人生問答集。(カバー折り返し)
 全てお坊さんが発した問いにお坊さんが答えてる。そうか、お坊さんも悩んでいるんだね……とタイトルを噛みしめたくなります。投げかけられる問いは、私たちが日ごろ疑問に思うようなことばかり。一つ一つに丁寧に、大抵は優しく時には厳しく答えていきます。何だか全てを包み込むような暖かいものを感じます。
 なかでも靖国参拝に対する意見はとても腑に落ちました(「腹でわかる」日本人ならではの表現よねこれも)。私は他の国があんなに嫌がってるなら公式に参拝するのなんてやめればいいのに、と考えるだけだったけど、参拝自体が悪いのではなく説明が足りてないのかもね。
 運命に身を任せる部分と、努力でどうにかなる部分とをきっちり見分けていきたいものです。現代日本で乞食をやるのは大変だし(笑)私はたくさん欲を持っている。ま、どんな自体に陥っても、私は自由であり得るみたいなので、気を楽に持ちますか。

 しかし日本人は元来、亡くなってしまった人は「仏さま」と一括して呼んでいました。中国のように死んでも許さずに墓所を暴いたり、死者を鞭打ったりする習慣はないのです。

 全て無名の、国のために死んだ人々としてあそこには祀られているのだと思います。むろん記名してあっても、それは俗世での業績を背負った個人ではなくなっているということです。
 そうした日本独自の宗教観、慰霊の態度を、国家はどうして外国にアピールできないのでしょうか。いや、小泉首相は参拝することでアピールしていたとおっしゃるかもしれませんが、そのような宗教観をきちんと主張するのは聞いたことがありません。