Memoria de los Libros Preciosos

続きを読むとクリティカルなネタバレがあります

角田光代『対岸の彼女』  ★★★☆

対岸の彼女
対岸の彼女
角田 光代

「けどさ、ひとりでいるのがこわくなるようなたくさんの友達よりも、ひとりでいてもこわくないと思わせてくれる何かと出会うことのほうが、うんと大事な気が、今になってするんだよね」

 なぜ私たちは年齢を重ねるのか。生活に逃げ込んでドアを閉めるためじゃない、また出会うためだ。出会うことを選ぶためだ。選んだ場所に自分の足で歩いていくためだ。


 直木賞受賞作だから皆さん知っているかと。ちょくちょく見かける評価が高かったので、これは読んでおくべきだろうとリクエスト。ちなみに、角田光代は『キッドナップ・ツアー』しか読んでいない。有名な作家なのに。
 アマゾンの紹介文を抜き出すと、「30代、既婚、子持ちの「勝ち犬」小夜子と、独身、子なしの「負け犬」葵。性格も生活環境も全く違う二人の女性の友情は成立するのか!?」とある。帯にも勝ち犬VS負け犬みたいに書かれている。しかし、二人の対立が主題ではないと思う。やはり友情、女性同士の間に成立する、独特の友情だろう。
 公園ジプシーになってしまった小夜子は現状を変えようと就職を決意する。採用された会社の女社長・葵はざっくばらんであっけらかんとした性格。同大学出身で同い年の二人は打ち解けていく。
 葵はいじめが原因で、横浜から群馬に引っ越した。そこで通い始めた女子高で出会ったのは、どのグループにも属さないナナコ。ナナコはずっと幸せに生きてきたんだなあ、と葵は思っていた。二人は夏休みにペンションでバイトする。
 現在の小夜子と過去の葵の物語が交互に描かれる。二人がいっしょならなんでもできそうな気がする――。
 女性なら、いや人なら誰しもが覚えのある「ひとりになりたくない」気持ち。友達を作るために必要なエネルギー、その関係を持続させるために付き合わなくてはならない諸々のこと。読んでいてとても痛かった。グループに属していないと都合が悪かったり、頑張って役割を演じたり、それなのに順番にはぶられたり。私の周りでは、小学校高学年から中学校にかけてがピークだった。何でこんなに面倒くさいんだろうと幾度も思った。
 しかし、作中と同じく女子高に通っているのに、そういうしがらみはほとんどない。やはり進学校って平和なのかしらん。県内の進学校かつ女子高の友達二人(別々の高校)に聞いたところやはり、平和すぎるほど平和だと言う。だから皆、高校になれば卒業するのかと漠然と考えていた。甘かったか。生きているうちは囚われなきゃいけないのだろうか。
 まあ、その痛さがリアルだから感情移入が容易い。感情移入してしまうと、ずっと痛みを抱えて読まなきゃいけないわけだけど……。少なくともこれは、読んでいて気持ちのよい小説ではなかった。面白い面白くないとは別にして。『グロテスク』に似てるものがある。
 ラストはよかったなあ、とすっきりできたから救われた。安心、っていうのが一番近いかな。
 ナナコは大切なもの以外はどうでもいいと言う。では、彼女の大切なものとは何なのだろうか。私は無条件で愛し合える友達を見つけられるんだろうか。

 

 小夜子は葵に、葵はナナコに「いっしょだったらどこへでも行ける気がする、なんでもできる気がする」と思うようになる。
 ナナコの瞳の虚無に気付いた葵と、帰りたくないとごねるナナコとはバイトが終わっても家に帰らず、稼いだお金でぶらぶらして過ごす。疲れたと言い交わし、二人はビルから飛び降り心中を図った。葵が気付くとベッドの上で、二人とも骨折すらせずに済んだらしい。その後、葵はナナコと会えなくなってしまう。父のお陰でようやく再会した二人は、しかし二度と交流することはなかった。
 葵は、かつて小夜子がゴシップ記事で見かけた少女たちの片方だった。折角軌道に乗り始めた掃除業務から手を引くと言い出す葵に腹が立った小夜子は、「あのあと、どうなったの」と尋ねてしまった。そして、会社をやめることに。
 もうだめだ、私にはまとめる力がない。結局小夜子は社員に逃げられた葵のアパートに会いに行って、二人の友情は成就するんです、ってとこかな。対岸の彼女、は対立しあってるわけじゃなくて、両岸で笑いながら手を振り合うのだ。
 内容を忘れそうなので、メモ。